MARUHOPPEの日記

お笑いと平和を愛する日本人のしょうもない出来事

墓参りは自己満足

そんな中、父親の墓参り。何ヶ月ぶりか。

母親もコロナ騒動になってから、墓参りしていないそうだ。なので行きたそうにはしていたが、足をどこかでぶつけたらしく、行けないという(彼女はそういう時、ものすごい病床の老婆を装う)。

まあ暑いし、雨が降ったり日が照ったりする変な天気なので、年寄りには辛かろう。クリーニングの物を置かせてもらうついでに、実家にカステラ(しかも五三焼き)と彼女の好きなコーラ、パピコをどっさり買って持っていった。

お墓、それほど荒れてはいなかった。しかし石を敷き詰めたのに、隙間から雑草が伸び出している。ダンナと汗をかきかき、根っこを取るつもりで草むしりした。周囲のお墓は草が伸び切って、林のようになっている。この状況は仕方ないか。

妹が置いていた天使の置物が、風に吹かれて欠けてしまっていた。しかも汚れちゃって、拭いてもなかなか落ちない。花を飾って終了。夏に花を供えるのは、花がかわいそうだな。

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墓参りは死んだ人の供養でなく、生きてる人間の自己満足だなと思う。母親は毎月、墓参りしてたけど、3ヶ月ほど行けてない。つまり、それぐらいの事なんだと思う。自分の気休めというか、仕事として墓守をしていたのに、コロナが蔓延したら行けなくなった。その証拠に、墓参り終わってから電話したら声が明るくなってて、近所のスーパーに買い物までしていたんだから。露呈してしまったな。何も言わないけどさ。

私とすれば、お墓をキレイにしてお参りできれば、母親の気が休まるならいいか、くらいの親孝行的な気持ちだった。これも自己満足なのである。墓参りの本質をはき違えてるのだろうか?父親、ごめん。

 

一昨日、亡くなったAちゃんもこうやってお墓に入るのだろう。家族が定期的にお墓参りして。何年も経てば、来たり来なかったりする。死ぬとはそういう事なのだ。死んだ人は、そんなことで左右されない。残された人間が、墓参りなんかでアタフタしてるんだよな。

墓参り後、新宿の青山(わかりにくいな)で、ダンナも私も夏の喪服を買う。ダンナは太りすぎて、礼服が限界。私は夏の喪服って持ってないので、とりあえず1枚必要だろうと、セール品を買ってみた。いつものより大きめのを買うらしい。にしても、ちょっと大きすぎる気がする。11号って初めて着たよ。

 

今日の東京都の感染者は206人。200人超え止まらず。