MARUHOPPEの日記

お笑いと平和を愛する日本人のしょうもない出来事

花文字

実家から深夜に帰ってきて、配達があるとのことで宅配ボックスを見たら、こんな贈り物が。
中華街に行かれていた方から。私の名前が、花文字で。

台湾のものらしく、名前とか書くと幸運を呼ぶそうだ。私が最近、愚痴っているのが伝わってしまい、くださったもののようだ。本当に有難いと思う。自分の名前は可愛いとは思うけど、自分には似合っていない気分がすごくしていた。だけど、こうして見るといい名前だな、と素直に思う。
落ち込み気分の中、大変励まされるプレゼントでした。飾って眺めております。ありがとうございます。


今、群ようこの「衣もろもろ」を読んでいる。自分のファッション観を書いたエッセイ。彼女は60歳ちょっとくらいの年齢か。これぐらいの年齢になると、どんな感覚を持てばいいのか興味があった。背が低くコロッとしている彼女は今の既製服が合わず、またアラフォーと呼ばれる世代の若作りファッションに嫌悪感があるらしい。好みも流行に惑わされずハッキリしていて、一度気に入ったものはブランドにかかわらず、直しながら長く使っているらしい。
群ようこと同年代の作家に林真理子がいて、私はこちらのエッセイもよく読んでいるのだが、全くといっていいほど逆の志向である。林真理子ハイブランドの服をとっかえひっかえ買い、それほど大事にしている風でもなさそうだ。しかも彼女、ダイエットによる体重の増減が激しく、サイズが変わってすぐに着られなくなるらしい。

でも、どちらのエッセイにも書いてある「いいものは長持ちする」というのは、私の経験ではアテにならない。なぜなら、30代の安定給料をもらっていた頃、いいもの(ブランド服)を買うようにしよう、と当時、無理をしてアルマーニのスーツを何着か買ったことがあった。でもウールのものはすぐに毛羽立ち、カシミヤはすぐに毛玉ができるし、パンツの裾はほつれると生地が擦り切れてしまうもろさだった。そんなに着ていないのに、すぐにダメになった思い出がある。
また、50に近づく年齢でありながら、いまだに自分に似合う服がわかっていないことだ。もちろん、可愛らしい感じの服が似合っていないのは分かるが、それは加齢ゆえのことだろう。あるブランドの服を着ると褒められるが、それはただ「男ウケのいい服」なだけに思う。

彼女たちより下の世代で、稼ぎもずーっと少ない私が思うのは、そこそこの価格のものを、形の流行を少し取り入れつつ着ること。体型を整えておくこと。以上を気にかけているぐらいだ。