MARUHOPPEの日記

お笑いと平和を愛する日本人のしょうもない出来事

父を悼む2021

父親の命日。19回忌となる。厳密には11月12日。

こうして、まだ元気な母親と来られる幸せ。

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父親はゼネコンに勤めていたので、出張と赴任の多い仕事だった。ジャカルタは長かったから帯同したが、アジアを中心に長短含めて結構、家を空けていた。幼い私や妹は出かける父親に「おじさん、次いつ来るの?」と聞いていて、ショックを受けたという。
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私が高校3年の頃、北京に転勤する話が出ていた。私は受験せず北京に行って、現地の大学とか入れないかなーと思っていた。なのに、私以外の家族(父親含め)は絶対に行きたくなかったらしく、当時ピンピンしていた祖父を危篤と偽って転勤を断ったらしい。私は行きたかったのに、大変残念だった。

父親は古い人間なので、娘が結婚以外で家を出る事を許さなかった。海外留学もしたかったが、できなかっただろう。
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そして私が結婚して家を出た頃、父親は札幌に単身赴任していた。そこから父親は体調を崩し出し、結核で入院する。勤務を解かれ東京に戻ってからも、入退院を繰り返すようになった。

肺が元々弱かった父親は、アスベストもあって更に悪化したようだ。呼吸がうまくできず、常に苦しかったようだが、母親に弱音を吐くことはなかったそうだ。つらいと他人に言ってもどうなるわけでもないし、ただでさえパニックになる母親には言えないだろう。この考えは、私も同様だ。母親には病気になっても、極力隠すようにしている。

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父親はラグビーが好きで、ビデオの録画をダンナにやってもらっていた。予約し終えたけど、父親はボーっとしていた。私が母親に「お父さん、何も悪いことしていないのに、なぜこんなに苦しまないといけないんだろうね」と何気なく言ったら、母親は泣き出してしまった。後ろ髪引かれたまま、家に帰ったらその夜3時、父親が息をしておらず病院に担ぎ込まれたと電話があった。

そのまま、父親は天に召されてしまった。

生きていたら80歳くらいか。現代ならまだ生きている人もいるだろう。スカイツリー建設も、今のこのラグビーの盛り上がりも、築地から豊洲の移転も、父親がいたらどこにでも連れて行ったのに。

葬式(ミサ)は成城の教会だった。休みがちだったとはいえ一応、現役だった父親の仲間や私の友人達も集まってくれて、結構な列だった記憶がある。

これ、いくつかモチーフを過去のブログで書いていたかな。まあいいや。

 

昨日は天気も良く、本当に11月と思えない小春日和だった。父親に何もしてあげられなかった分、母親を喜ばせたい。親孝行とかでなく、私のエゴなのだ。

東京都の感染者は22人。